日本最大の淡水湖、
琵琶湖の東に位置する滋賀県彦根市。
かつては彦根藩の城下町として栄え、
現在は国宝・彦根城を中心に歴史スポットが満載です。
ご家族やお仲間と連れだって、
いざ、戦国・江戸時代へとタイムトラベル!
彦根城で400年以上前に
想いを馳せる
今回の旅で最初に訪れたいのは、小ぶりながらも三重の天守が美しい彦根城。慶長の築城ラッシュと呼ばれるほど数多くの城が作られていた江戸時代初期、徳川家康の重臣だった井伊直政は関ケ原の戦いの武功により、敵陣を率いた石田三成の居城 佐和山城を与えられましたが、のちに廃城して彦根城を建てることになりました。しかし、無念にも居城することは叶わずに亡くなり、その息子たちによって約20年かけて築城されました。
明治時代になり多くの城が壊される中、 彦根城はそのまま美しい姿を残し、第二次世界大戦の影響も受けることなくいまに至っています。 一説には、 明治天皇巡行の際に随行した内閣総理大臣・大隈重信が天皇に彦根城の保存を願い出たとされ、 残ったのではないかと言われています。
屋形船でお堀から城を眺める
時間に余裕があれば、彦根城お堀めぐりを。屋形船は藩主が領内の視察、大名や公家の接待、湖上での鷹狩りなどに使ったものをほぼ実寸で復元したもので、勇壮な彦根城をお堀からゆったりと眺めることができます。
関ヶ原の戦い、
その歴史を身近に感じる
徳川家康の覇権を決定付け、井伊直政が彦根城を賜るきっかけとなった天下分け目の関ケ原の戦いの舞台「関ケ原古戦場」。
徳川家康と石田三成の率いる合計15万以上の軍隊が集結し、 井伊直政の軍勢が発砲したことから激戦が繰り広げられましたが、徳川家康の完全な作戦勝ちとなり戦闘はわずか6時間ほどで決着したと言われています。
この戦いをきっかけに江戸時代へと移行。現在関ケ原古戦場には石碑と徳川 石田の両家の旗が掲げてあり、 記念館では戦いの様子を臨場感あふれる映像で見ることができます。
秀吉に振る舞われた
茶の産地へ
滋賀県・鈴鹿山脈の谷あいにある政所(まんどころ・東近江市)は、関ケ原の戦いで敗戦した石田三成が忠誠を誓った豊臣秀吉に提供した三献茶のエピソードで有名です。
当時長浜城主だった秀吉が鷹狩の帰りに立ち寄った寺で、乾いた喉を癒すためお茶を所望。その寺の小姓は1杯目をぬるめのお茶でたっぷりと、2杯目はやや熱めのお茶を先ほどより少なめに、3杯目は小さな茶碗に入った熱いお茶を少量提供しました。
渇いた口でも飲みやすいぬるめのお茶からはじめ、徐々に熱くしたものを出す。飲む相手を思いやったおもてなしをしたこの小姓さんこそが石田三成その人だったのです。
こうして、三成は秀吉に気に入られて長浜城に連れ帰られ、秀吉のもとで武将としての人生を歩み始めました。
いまでは“幻の銘茶”とまで言われる「政所茶」は、かつては「宇治は茶所、茶は政所」と茶摘み唄にも歌われ、江戸時代には全国に名の知れた名産地でした。彦根観光の際には日本茶店などに立ち寄り、政所茶で一服してみてはいかがでしょうか。