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亀の井ホテルのDNA/歴史
創業者・油屋熊八、
その挑戦の歴史
「亀の井ホテル」の歴史は、1911年(明治44年)に始まりました。
単独渡米で価値観が大きく変わった油屋熊八が小さな旅館を引き継ぎ、
革新的な取り組みで多くの人を呼び、一流ホテルへと成長させました。
波乱万丈、油屋熊八が
「亀の井旅館」を創業するまで
熊八は1863年(文久3年)、愛媛県宇和島生まれ。藩校を卒業して働き始め、若くして宇和島の町会議員になり、町の新聞をつくり米の売買について学び、町のために尽くしました。1893年(明治26年)、30歳の熊八は議員を辞めて大阪で米の相場師になりました。ここで熊八は巨万の富を築き、「油屋将軍」という呼び名で日本中に知れ渡るように。ところが、相場が大きく変動して熊八は多額の財産を失ってしまいました。
1898年(明治31年)、この失敗を機に熊八は単身渡米。アメリカからカナダやメキシコまで足を延ばし、日本とはまったく異なる近代的な文化に触れ大いなる刺激を受けました。

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手厚いおもてなしで人気旅館へ、
そして国際的なホテルへ
1911年(明治44年)、帰国して10年経った頃、熊八は大分・別府の亀の井旅館(現亀の井ホテル別府)を始めて、旅館業経営に乗り出しました。アメリカでキリスト教から学んだ「旅する人に親切にすることを忘れてはいけない」という教えを大切に、熊八は宿泊客を手厚くもてなしました。
そして、1914年(大正3年)に「亀の井旅館」から和洋折衷の「亀の井ホテル」へと変更し、食堂では和食に加え、本格的な西洋料理の提供を開始。外国からの宿泊客にも支持され、一流ホテルの仲間入りを果たしました。
別府を変えた熊八のイノベーション
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創業当初から、
かつてない上質なおもてなしを提供
「自分の家にきた旅人は天使かもしれない」。
そう考えた熊八は宿泊客を魅了するおもてなしのアイデアを次々と実現。駅に着いた宿泊客のお迎えサービス、急病対応のための看護婦の常駐、上質な寝具の用意など。
また、腕のいい料理人を呼び寄せて、郷土料理や地元の新鮮な食材を提供しました。
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ゴルフ×温泉という
新しいレジャーを生み出す
昭和のはじめに熊八は、本格的なゴルフ場「別府ゴルフリンクス」(現別府ゴルフ倶楽部)のオープンに尽力して、温泉保養地とスポーツを組み合わせた新しいレジャーのかたちを提案。
熊八はアメリカ滞在時にゴルフに出会ったのではないかと言われています。
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戦略的な宣伝活動で、
別府温泉を一大観光地へ
熊八は、自ら別府温泉の宣伝マンにもなりました。新聞社主催のコンテスト「日本新八景」では、別府市民にハガキを配って投票してもらい、別府温泉を全国1位に導いたり、「山は富士 海は瀬戸内海 温泉(ゆ)は別府」というキャッチフレーズを書いた柱を富士山に立ててきたり。はたまた、飛行機をチャーターし、大阪や神戸の空からチラシをまいたりと、さまざまな手段で別府温泉を世の中に知らしめました。
また、日本人なら誰もが知る温泉マークを広めたのも熊八と言われています。
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日本初、バスガイドを乗せた
観光バスを走らせた
女性が家にいるのが当たり前の時代に、バスガイドという職業をつくったのも熊八でした。
多くの人に別府観光を楽しんでもらおうと熊八は1928年(昭和3年)にバス会社を設立。若い女性バスガイドを乗せて別府観光の目玉、高温のお湯が吹き出す「地獄」をバスでめぐれるようにしました。
やがてバスガイドは日本各地に広まり、女性の憧れの職業になりました。
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文化活動を通じて、
地元の子どもたちからも親しまれた
熊八は、読み聞かせなどの文化活動を熱心に行っていたことから、子どもたちにも人気でした。赤いネクタイとピカピカ頭がトレードマークで「ピカピカのおじさん」と呼ばれて愛されていました。
2007年(平成19年)、JR別府駅前に建てられたブロンズ像は、多くの人を楽しませてきた熊八らしい笑顔が表現されています。
九十九里、紀伊田辺、鳥羽の
3館でお出迎え!
亀の井ホテル 九十九里、紀伊田辺、鳥羽の3館では、ロビーで熊八像がお出迎え。
レトロなラッピングを施し、フロントガラスの上に亀の井旅館の創業年「1911」をデザインした送迎バスでお客様をお出迎えしています。
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「亀の井ホテル」は、創業時から脈々と受け継がれる油屋熊八によるおもてなしの精神、
イノベーションの精神に、その土地ならではの価値を加えて一層魅力あるホテルへ。
どうぞ、日本各地の「亀の井ホテル」で歴史と物語のあるステイをお楽しみください。