岩手県の一関・平泉地域ではもちが日常的に食べられ、
さまざまにアレンジされたもち料理が存在します。
かつてはもちを食べる日が書かれた
「もち暦」まであったそうです。
どんな歴史的背景があるのか、どんな食べ方があるのか
江戸時代から続く
もち食文化を求めて岩手を旅しましょう。
400年以上続く、
岩手県一関市と平泉町のもち食文化
一関・平泉地域が江戸時代に伊達藩(仙台藩)の一部だった頃、農民は毎月1日と15日にもちつきをして神様に供えることが決まっていました。ただ、年貢を納めるのに精一杯の農家では、くず米に雑穀を混ぜた「しいな餅」を食べており、よりおいしく食べるために知恵と工夫を重ねたことから多彩なもち料理が生まれたといわれています。
田植え、稲刈り、婚礼など
人が集まるところにもちあり
もちをつく機会は年間60回以上に増え、それらは「もち暦」に記されていました。正月の鏡もち、お供えもちに始まり、農作業を始める1月11日にはきな粉もち、桃の節句には草もち、菱もち、端午の節句には柏もち、草もち、あんこもち、豆腐もちなど。11月11日は、「いっぺあもち」といってひとり2合5勺(2合半)のもちを残さず食べる日だったそうです。また、田植えや稲刈りの後にはもちを集まった人に振る舞い、結婚式のときは、家の前でもちをつき、近所の人がもちつき歌を歌いながら嫁入り行列を迎えました。
「もち本膳」という冠婚葬祭のおもてなし料理もあり、こちらは武家の宴会料理から発展。本来は「おとりもち役」と呼ばれる人の進行に従い、まず、なます(大根おろし)を口にし、あんこもちや雑煮などを時計回りで食べていきます。現在、地元では「もち本膳」に触れる機会が減っていますが、まだまだ体験できる場所はあります。
提供:「岩手フォトライブラリー」
300種もある!
世界が注目するもち食文化
一関・平泉地域に伝わるもち料理はいくつもの時代を経て進化してきました。あんこ、くるみ、じゅうね(えごま)、ふすべ(ごぼう)といった伝統的なもち料理から、最近ではピザもち、もちパフェなどが加わり全部で300種以上に。その種類の多さから、長い間、もちが地域に根付き愛されてきたことがわかります。一関のもち食文化は、ユネスコ無形文化遺産に登録された和食に含まれており、一関市・平泉町は農林水産省の「食と農の景勝地」に認定され、世界からも注目される文化となりました。
伊達政宗が絶賛した景勝地で、
空飛ぶだんご体験
一関には、奇岩、巨岩、甌穴、深淵、滝などが約2km続く渓谷、厳美渓があります。エメラルドグリーンの水面と大自然が生んだ造形美がとても神秘的で、伊達藩の初代藩主・伊達政宗が絶賛されたことでも知られています。
そんな厳美渓の名物が、空飛ぶだんごこと「郭公だんご」です。1878年(明治11年)創業の郭公屋がつくったあんこ、ごま、みたらしの3種のだんごをお茶と一緒に籠とケーブルを使って、渓谷の対岸へと運びます。しかも、結構な速さなのにお茶がこぼれないというから驚き。ちょっとしたエンタテインメントです。
※郭公屋は12~3月上旬冬期休業